子どもの居場所について

肉体を持ってるので人にはそれぞれに居場所があり、もしくは今この時身を置いている場所が

あるのだけれど、

戦争や災害や事故がなくったっていつでも平安な場所に居るなんて多分不可能。


いこごちが悪いのに毎日行かなければならない学校や職場と呼ばれるものや

だいたい毎日ご飯を食べたり夜寝たりする家と呼ばれる場所。

毎日歩く道や利用する電車やバス。

それらの一つでもいこごちが悪いと毎日が辛くて

時には病気になったりもする。


子どもがどこかで居心地の悪さを感じた時、周りの大人がどう対応するかで

その子のその後の人生における気の持ち方が

大きく変わってしまうんじゃないかと思っている。

それは娘から教えてもらったこと。


数年前から娘が学校に行くのを嫌がり出したのだ。

正確に言えば、保育所の頃からそれは始まっていた。

娘が行く予定になっていた小学校の学区内に新設された保育所に転所してから

娘は新しい先生や同じクラスの子達と良い関係が作れなくなっていたようだ。

二つの保育所が統合されたこの町では大きい保育所。

先生とクラスメイトは半分知ってる人、半分知らない人。

新設校のバタバタした雰囲気の中

全く別の保育所から一人ポツンと転入してしまった娘を気遣う人はいなかったようで

一日絵本を読んで過ごしていた娘は

「物静かで問題を起こさない良い子」

としてよく褒められた。

当時、私は仕事優先で

娘の小さな心につけられた大きな傷をそれほど重くは受け止めていなかった。

保育参観に行った時、クラスメートがみんな娘を避けていたことは気がかりだったが

後から転所後の最初の約1年間は保育所にいる間中誰とも話せなかったと聞いて、

私は娘に対して申し訳なくて娘は当時を思い出して親子で嗚咽してしまった。

朝、保育所の駐車場に着いても娘は時々車から降りようとしなかった。

所長先生が迎えに来て連れて行ってもらった。

毎日のように前の保育所に戻りたいと言っていた。

4歳の子がどんな思いで毎朝保育所の玄関で母親と別れていたのか。


一年くらい経った頃から嫌がらずに行くようになったが

今度は娘の自己肯定感が段々低くなっていくことが気になった。

とても賢い子だったのに色々なことをすぐに忘れる。

私なんて可愛くないと言い張る。

ただ娘らしく好きなことをしていればいいのに

何をしたらいいの?今何をしたらいいかわからないから教えて、

といちいち聞いてくるようになった。

こうしたらいいんじゃないの?といっても

「これはやったらいけないの」「やったらダメって言われた」

という言葉をよく聞くようになった。

娘のキラキラがなくなっていくのを感じていた。


小学3年生頃から

宿題プリントが簡単に解けるわけがないと思い込みはじめ

最終的には怖くて答えが書けなくなった。

それが私と一緒に考えて導き出した答えであったとしても書こうとしない。

解答を見て初めてホッとして答えが書ける。

間違うなんて許されないのだ。

誰が許さない?誰の目を気にしているの?


娘に伝えた。

エジソンは失敗を沢山した。

でもそれを失敗と言わずに「ただうまくいかないやり方を見つけただけ」

って言ったんだよって。

間違ってやっと正解に近づくことって多いって言いたかった。

もっと気楽にやればいいのにって伝えたかったけどどう伝えていいのかわからなかった。

意味もわからずに娘が自分自身に制限をかけ、段々その数が増えていき

自分で自分を苦しめているように見えた。


そして小学4年の秋に娘は全く学校に行けなくなった。

学校の話をするだけでベッドの隅に縮こまって耳を塞いだ。

少しずつ話をしてどうしてそうなったのか私なりに理解しようとした。

少しずつ辛かったことを話してくれた。

時々意味もなく急に号泣することもあった。

私はできるだけ受け入れる努力をした。

そのうち、学校やクラスメートのペースとは違う

娘独自のペースがあって学校に行くことで時にそれが著しく乱されることがあるとわかった。

学校の時間割に従う授業の進め方では細切れになってしまう。

娘は一つのセクションを一気に学習する方が理解できるみたい。

娘は感情の波を大事にするので、特に国語での物語などで

物語が醸し出す情緒をぶった切られるような授業の進め方をされると

意識がそこから遠のくみたい。

一部の先生方には融通がきかない子だと思われてしまったみたい。


決められた時間の中でやるべきことを終わらせないといけない。

時間が足りないから大勢の生徒の一人一人に向き合うことは優先されない。

先生は自分が意図したように理解すること、意図したように行動することを求める。

先生にも家庭生活がある。もう十分すぎるくらい仕事をしておられる。

先生方にこれ以上求めることはない。


とはいえ学校に合わせて娘らしさを変える必要はないし

求められることができなくても劣等感を持つこともないと思うから

娘と私の今のところの結論としては、無理のない範囲で学校と付き合ったらいいんじゃないかということになった。

市販のタブレット学習を始めてから理解度が増したのもそれを後押しした。


今でも娘にとって、学校は居場所の一つ。

お友達と時間を過ごし、美味しい給食を食べられる。

でもそれだけではない場所も必要という。

うちでも学校でもない場所が必要だという。

それがどんなところか一緒に考えて一つ一つ形にしていく。

そういう作業を始めた。


その中で浮かび上がってきたこと。

もう一度自然の中に子供達だけのコミュニティを取り戻したい、

子供とか大人とか関係なくフラットな付き合い方がしたい。

管理する、教育するという感覚よりは

それぞれの楽しみを分かち合う、足りないところは補い合う。

一人一人がその人らしさを発揮できる。

そんな場所があればいい。


少しずつ活動していきたいと思う。








めぐりファーム

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